ひとまず、函館朝市での海鮮丼を力にして、
これから本当の目的「函館オーシャンスタジアム」へ向かうとしよう。
正直、ここまでの函館への旅は、
海鮮丼、夜景、さらには赤レンガ倉庫などなど…
函館という街を満喫するだけで、
球場行脚という本当の目的を忘れていた。
これじゃ、「球場寅さん」ではなく、
ただの「寅さん」ではないか…。
函館朝市での海鮮丼をお腹にたっぷりと入れ、
朝から北海の海の幸を堪能して、
いざ、「函館オーシャンスタジアム」へ向かう。
函館駅前の電停から市電に乗り、
しばらく揺られていると、「千代台」の電停に到着した。
今回の函館オーシャンスタジアムの最寄電停である。

昔ながらの路面電車に別れを告げ、
電停のホームに降り立ち、
信号を確認して、対岸の歩道へと降り立った。
そこはもう「函館オーシャンスタジアム」が目の前なのだ。
すでに敷地内に入っており、
今回目指した「函館オーシャンスタジアム」が
すぐ目の前にあるが、全容はまだ見えない。
その前に、こんな銅像を見つけた。

「久慈次郎」という人物の銅像らしい。
私は誰の銅像なのか、さっぱり分からなかった。
しかし、自宅に帰ってから、この人の詳細を調べてみると、
出身は盛岡ではあるが、函館に本社を置く函館水電に入社し、
函館大洋倶楽部で野球を行うことになりました。
1934年にはあの巨人・沢村栄治投手とバッテリーを組み、
大リーグの選抜チームと対戦し、好ゲームを繰り広げたそうです。
しかし、1939年に選手兼任監督として臨んだ試合で、
ファーストの守備でスタメン出場をしていたところ、
捕手からの牽制球がこめかみに当たり、
そのまま頭蓋骨損傷で亡くなったそうです。
グラウンドで、命を絶ってしまった。
野球選手としては今も銅像として言い伝えられていますが、
果たして、本人としてはどうだったのか。
まさかのプレーであの世へ逝ってしまうわけですから…。
そのときは、久慈次郎という人物を知ることもなく、
とりあえず球場の周囲を歩くと、ついに正面玄関へとたどり着いた。

ようやく、「函館オーシャンスタジアム」にたどり着きました。
ここからが「球場寅さん」の登場です!