2011年09月10日

いざ、函館オーシャンスタジアムへ

函館ラーメンはまだ食べていないが、
ひとまず、函館朝市での海鮮丼を力にして、
これから本当の目的「函館オーシャンスタジアム」へ向かうとしよう。

正直、ここまでの函館への旅は、
海鮮丼、夜景、さらには赤レンガ倉庫などなど…
函館という街を満喫するだけで、
球場行脚という本当の目的を忘れていた。

これじゃ、「球場寅さん」ではなく、
ただの「寅さん」ではないか…。


函館朝市での海鮮丼をお腹にたっぷりと入れ、
朝から北海の海の幸を堪能して、
いざ、「函館オーシャンスタジアム」へ向かう。

函館駅前の電停から市電に乗り、
しばらく揺られていると、「千代台」の電停に到着した。
今回の函館オーシャンスタジアムの最寄電停である。


千代台電停.jpg

昔ながらの路面電車に別れを告げ、
電停のホームに降り立ち、
信号を確認して、対岸の歩道へと降り立った。

そこはもう「函館オーシャンスタジアム」が目の前なのだ。
すでに敷地内に入っており、
今回目指した「函館オーシャンスタジアム」が
すぐ目の前にあるが、全容はまだ見えない。

その前に、こんな銅像を見つけた。

久慈次郎.jpg

「久慈次郎」という人物の銅像らしい。
私は誰の銅像なのか、さっぱり分からなかった。

しかし、自宅に帰ってから、この人の詳細を調べてみると、
出身は盛岡ではあるが、函館に本社を置く函館水電に入社し、
函館大洋倶楽部で野球を行うことになりました。

1934年にはあの巨人・沢村栄治投手とバッテリーを組み、
大リーグの選抜チームと対戦し、好ゲームを繰り広げたそうです。

しかし、1939年に選手兼任監督として臨んだ試合で、
ファーストの守備でスタメン出場をしていたところ、
捕手からの牽制球がこめかみに当たり、
そのまま頭蓋骨損傷で亡くなったそうです。

グラウンドで、命を絶ってしまった。
野球選手としては今も銅像として言い伝えられていますが、
果たして、本人としてはどうだったのか。
まさかのプレーであの世へ逝ってしまうわけですから…。


そのときは、久慈次郎という人物を知ることもなく、
とりあえず球場の周囲を歩くと、ついに正面玄関へとたどり着いた。

函館オーシャンスタジアム正面.jpg

ようやく、「函館オーシャンスタジアム」にたどり着きました。
ここからが「球場寅さん」の登場です!

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